第6回「叱らない育児の流行を受けて」

学びの備忘録

少し昔の話(10~5年ほど前)になりますが 「叱らない保育」「叱らない育児」という言葉が流行した時がありました。

また、叱るという行為が

  • 子どもの主体性を奪う
  • 自己肯定感を低下させる
  • 不適切保育だと認定される
  • 子どもにストレスを与え脳を委縮させる

といった情報もあわせて出回り、日本中で「叱る事は悪だ」という風潮が広まりました。

この事は社会にとって必要な流れだったと思います。

でもその結果、

今度は、放任保育やほったらかし育児が問題となりました。

私たちはこの2つの出来事から何を学ぶ事が出来るのでしょうか。

叱らない保育に潜む罠

叱らない保育が流行した際に、問題だったのはその代わりにどうやって子どもを教育していけば良いのかという事が示されなかった事ではないでしょうか。

その結果、「うちは伸び伸びやっています!」と放任保育を自信を持って推進する園や家庭が増えてしまったんだと思います。

私も完全自由主義の園を見学に行った事がありますが、年長になっても給食を床や机にべちゃべちゃ落としながら食事をしていた光景を目の当たりにし、なんとも言えない気持ちになりました。(たまたまその時の状況が悪かっただけかも知れませんが。)

もちろん「何度言ったらわかるの!?こぼさないで!!!!」なんて叱られながら食事をするよりは、遥かに良いと思います。

しかし、これが最適解ではないのだろうというのが、私の正直な感想です。

叱る必要はないけれど、伝える必要はある

確かに叱る必要はない。激しい叱責なんてもってのほかです。

でも、こども達に大事な事を伝えたり、身に着けたりしていけるように援助する事は、放棄できない保育士の大切な仕事の1つであると私は思います。

伝え方の3ステップ」という記事でも紹介していますが、伝え方に気を付けて大切な事はしっかりと伝えていく方が私は大切だと私は思います。でもそれは決して子どもを否定しないという前提に基づく行為でないといけません。

大切なのは考える事

皆さんはどう考えますか?

保育や教育の話は、非常にナイーブです。政治の話と同じくらい意見が対立しやすく、また積極的に発信すると誹謗中傷を受けやすいテーマでもあります。

でも裏を返せばそのくらい多くの人が関心を寄せているテーマだと言う事が出来ます。

大切なのは、自分なりに考える事ではないでしょか。

教育や保育をテーマにした話は、たくさんの意見が出て、たくさんの議論がなされて、たくさんの評論家が登場して、カリスマママやカリスマパパまで登場していつもおおいに盛り上がります。

そのときに、誰かの意見を鵜呑みにするのではなく、色々な意見に触れて感じて、そして自分なりの考えをまとめていく事が大切なのかなと私は思います。

次回予告

と、いう事で叱らない保育をどう思うかという話をしてきました。

結論:方針は好きだけど、放任主義にならないように気を付けなければいけないよね

というのが私の考えでした。

と、いう事で次回は「なぜ自分の意見を分かって貰ないのか」というテーマで、子ども達に大切な事をどう伝えていけばいいかという内容をお届けします

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