今日のテーマは倉橋惣三さんです!一体何をした人なのか、ざっくりとゆる~く解説していきます♪
倉橋惣三って誰やねん!
今回の主役は 近代教育学の父!【倉橋惣三】 です!


丸眼鏡がトレードマークのおじさんですね!

そうそう!すごく優しそうな人だよね~
保育士さんや保育学生にとってはお馴染みのお名前ですが、実際「どんな人?」と聞かれるとピンと来ない人も多いのではないでしょうか。

確かにピンとこない…何をした人なの?

知らないなんてもったいない!日々の保育に奮闘する保育士さんは特に、その生き様を知れば、きっと彼が好きになるはず!
では早速その人生を見てみましょう。
倉橋の高校時代
倉橋は、『東京第一高校』という学校に通っていました。そこでの学生ライフはというと、、、
- 部活もせずに東京女子師範学校付属幼稚園に通っては子ども達と遊ぶ少年時代
- 当時、創刊間もない児童研究を月間購読していた

かなり変わった男子高校生ですね…

彼を受け入れてた当時の園も凄い!今なら絶対あり得ない(笑)
部活もせずに子どもと遊び、得体の知れない専門書を読み漁りっている男子高校生がいたら周りの人達はどう思うでしょうか…
今でこそ多様性が受け入れられる世の中ですが、当時は相当ヤバいヤツだと思われていた事でしょう…
大学時代

でも彼の「子どもが好き」という情熱は本物だったんだ
彼のその後の進路は以下の通り!
- 高校卒業後は東京帝国大学(今の東大)に進学!
- そのまま大学院まで進み、帝大大学院で児童心理学を修了

すごい✨頭もよかったんですね!

そうだね!倉橋少年は、大学時代に元良勇次郎という教授に出会って彼の指導の元児童心理学を学んだんだよ!

元良勇次郎さんは何をした人なの?

実はこの人が日本初の心理学者なんだよ!つまり日本心理学の先駆者なんだ!

そんな人から学んだのね!うらやましい!

2人の師弟関係は特別で、倉橋が結婚する際には元良が仲人を務めたという記録もあるんだよ!
そんな倉橋少年もついに社会人デビュー!

そんな倉橋少年は子ども達に学び、師匠の元良勇次郎に学び、ついに保育の世界へ!

これだけ勉強してきた人がどんなキャリアを歩んだのか気になる!
倉橋惣三が歩んだ主なキャリアは以下の通りです!
- 倉橋がまず就職先として選んだのは、【東京女子師範学校】ここで講師として採用されます。
- そしてここで教授に昇進
- 【東京女子高等師範学校附属幼稚園】 主事
- 【日本保育学会】 を創設!初代会長に就任!

東京女子高等師範学校附属幼稚園=現在のお茶の水女子大学附属幼稚園 なんだよ
倉橋が愛した偉人

倉橋惣三は、フレーベルが大好きだったんだよ!

世界初の幼稚園を開園した人ですよね!
彼は、フレーベルという教育者の思想に大きな影響を受けています。
しかし…

当時日本のフレーベル教育は形式化しており、単なるカタチだけのものだったんだ…

自分の推しが適当に解釈されるなんて…

大好きなフレーベル教育が粗雑に解釈され、適当に行われていた日本の保育に心底腹を立てていた倉橋は自らその現場に飛び込んで、中核からそのやり方を変革していったんだ!
倉橋惣三の保育

そんな倉橋惣三は誘導保育法という保育方法を提案した事で有名なんだよ!

子どもを誘導・・・? なんだか厳しそうな教育法ですね…

そんな事ないよ!実際に中身を見てみよう!
誘導とは言っていますがもちろん、大人が子どもをコントロールするという事ではありません。
誘導保育法には4つの段階があります。
- 自己充実
- 充実指導
- 誘導
- 教導

難しそうな言葉…

簡単に言うと、自ら育つ力を大切にし、環境を構成する保育 を丁寧にやっていく事です。
要するに、子どもが中心!ってことです!
倉橋惣三の魅力が詰まった言葉
こうして仕組みや考え方まで、日本の保育を牽引し、大きく飛躍させた倉橋。
そんな彼のお墓には、本当に大切で素敵な言葉が彫られているんです。
最後にそれを紹介したいと思います。
自ら育つものを育たせようとする心それが育ての心である
倉橋惣三
世の中にこんなに楽しい心があろうか

どういう意味なんだろう?

簡単に言うと、保育って楽しいよね!という意味ですね!
そう楽しいのです!保育の奥深さや楽しさを噛みしめながら、その発展に尽力した点は彼の大きな魅力でなないでしょうか。
こんなに保育にのめり込んで、苦労して出世し、登り詰めた天才。
そんな人が最後に残した言葉が、自ら育とうとする子ども達を支える「保育」という仕事は楽しい!という事!
きっと変わる事のない本質なのでしょうね
シンプルだけど忘れないように、大切にしたい気持ちですね!
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