保育の偉人伝 『コメニウス』編

保育原理

そもそもコメニウスというのは本名ではありません。なんと、執筆活動目なのです!(本名は ヤン・アーモス・コメンスキー)

そう、彼はもともと執筆家。

そんな彼がなぜ教育者になったのか。そこには少し悲しいストーリーがあるんです。

世界の教育の仕組みをたった1人で変えた悲しき天才の物語。スタートです。

コメニウスが教育者になった理由

まず、彼が生きたのは16世紀。宗教混乱の時代でした。

カトリックとプロテスタントがキリスト教の考え方を巡って戦争をしていた時代です。ちなみにコメニウスの家はプロテスタントでした。

そんな時代に生きた彼はある日、残虐行為を目の当たりにします。それが第二プラハ窓外放出事件です。

簡単に言うと宗教観の違いという理由だけで、3階から人が突き落とされる事件です。(理不尽かつ残酷ですね…。)

この事件を受けたコメニウスは悲しみに打ちひしがれます。

悲しみ過ぎて一旦は引きこもりになります。そして引きこもり生活の中で「何故、世界はこんなに残酷なのだ…」的な事を考え続け、ある事に気づきます。そしてあの名言が飛び出るのです。

それが、

全ての知識の共有は戦争を終わらせ、ヨーロッパを1つにする。

コメニウス

この考え方は現在のユネスコにも引き継がれています。そしてこの考え方はコメニウスの教育観の核となる考え方となります。

今風なキャッチコピーにするなら

全ての知識を全ての人に!

みたいな感じでしょうか(笑)

コメニウスの教育案

戦争を終わらせる為、全ての知識の共有が大切だと考えたコメニウスは、様々な教育案を提案していきます。今回は有名なコメニウスの功績を4つを紹介していきます。

  1. 学校教育の仕組みを構想
  2. 世界図絵の刊行
  3. 女子教育の大切さを説く
  4. 生涯教育の考え方。

それぞれについて少し詳しく見てみましょう

学校教育の仕組みを構想

彼は現代の学校教育の仕組みを丸ごと構想した人物です。

①同一年齢

②同時入学

③同一学年

④同一内容

⑤同一卒業

彼はこの5つを構想しました。

同一年齢の子ども達が同一入学をして同一学年として集い、同一内容を修業し、同一卒業していく。

まさに現代の学校教育の仕組みそのものですよね。彼が近代教育学の祖と呼ばれる理由も分かる気がします。

そしてこの構想はまさに全ての知識の共有を可能にする仕組み!

しかし悲しきヒーローコメニウス…

義務教育制度がヨーロッパではじまるのは19世紀。実にコメニウスの死後300年の事です。彼の考えた制度は彼が生きているうちに評価される事はありませんでした。

世界図絵

子ども向けの教科書である世界図絵は“百科事典”のようなものです。

世界の事を“図”と“絵”で示しましたよ!という1冊。その内容は

  1. 無生物(生命の無い全般)
  2. 生物(動物・植物)
  3. 宗教
  4. 人間とその活動

の4テーマを扱ったものでした。

これが何故有名かというと、なんと世界初の絵本だと呼ばれているからです。本の中に絵を組み込む事は当時、かなりの革命だったようです。

本当に子どもを含む全ての人に知識を広めたい!わかって欲しい!勉強して欲しい!という熱い想いが画期的な1冊を生んだのです。

女子教育の大切さ

コメニウスの思想は、とにかく全ての人が知識を共有する事が大切!というものでした。

それは女子も例外ではなかったのです。当時、学問というものは基本的に男性のものでした。しかしコメニウスは

女子にも男性同等の能力がある。それどころかしばしば男子より優れた能力があると主張し、女子教育の必要性を説いたのです。

生涯教育

コメニウスはライフサイクル全般を通して生涯教育を初めて語った人物です。

例えば、母親による教育から死ぬことへの準備まで、人は生涯学び続けるべきであるとしたのです。

特によく聞くのが『母親学校』ですよね。

これは母親を教師としてその膝の上で始まる教育の事です。

コメニウスは、人は小さい子どものうちから死ぬまで生涯をかけて学習をすべきと考えたのです。

コメニウスの言葉

この様に教育に大きなリノベーションを起こしたコメニウスですが、自身の本の中でこんな言葉を残しています。

教育なくして人間は人間になる事は出来ない

大教授学/コメニウス

これはコメニウスが自身の著書『大教授学』の中に記した言葉です。

残酷な世界を生き抜いて教育の発展に尽力したコメニウスの人生を思ってみると、この言葉がより重みを増して聞こえますね。

コメニウスの最期

コメニウスが教育者になったキッカケである宗教戦争はカトリックが勝利し、プロテスタントだったコメニウスは長い逃亡生活を送ります。

その中で妻と子供を亡くすなど、どこまでも哀しい運命と戦いながらも、教育の発展に力を尽くし、提言をし続けたのです。

そして二度と母国に帰る事もなく、その生涯に幕を閉じました。


私たちが受けてきた当たり前の教育はコメニウスという一人の男が生涯をかけて、哀しい運命・残酷な世界に立ち向かい叫び続けた平和への願いそのものだったのです。

あとがき

いかがだったでしょうか。ただの偉そうなおじさんというイメージが変わって、コメニウスという一人の男を少し好きになった人もいるのではないでしょうか。

個人的には、この時代に男性でありながら女性教育の必要性を説いた事にその謙虚さや人間性が溢れている気がして好きなエピソーです。

そして、もともと教育の目的が「戦争を終わらせる為」であった事は驚きだった人も多いのではないでしょうか。

残念ながら日本では、コメニウスの教育の仕組みが戦争の為に使われた時期もありました。しかし、今は違います。

特に現代の幼児教育が目指すものは「子どもの幸せ」という要素を強く含んでいるような印象を受けます。

では、幸せとは何なのか。教育とは何なのか。私たち一人一人が次世代のコメニウスになる必要がある。近代は大きな教育転換期だと個人的には思っています。

私たちが自分の中に「教育とはなにか」という問いを持ち続け、考えていく“哲学的な視点”がこれからの幼児教育を進めていく現場の先生には大切なのではないかなと個人的には思います。

コメニウスの意思を引き継いだ私たちが、次の教育を作っていく。そう考えると、保育士や教師という仕事はなんてロマンがあるんだろうと思います。

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